何もしない贅沢と難しさ

コロナの自粛で何もしない生活を送ることに。何しない事は悪なのか。不幸せなのか。何もしない贅沢と難しさが良く分かったのでメモ。

「何もしない」とは?

家

まず、何もしないことの定義って何だろう。人によって主観的にそう感じることは異なる。私はまさに、コロナ禍で究極に何もしていないと感じる状態が70日以上続いている。旅行をしていたその前を含めると400日になる。

朝起きて「今日も生きている」と感じ。妻が作った食事を食べて「めっちゃうまい」と感じ。子供と散歩にいって東京砂漠が「清々しい」と感じ。夜寝る前に「今日も幸せだった」と感じている。

何もしないとは、なんだろう・・・・・。生命の営みと家庭の営みのみをしているだけで「何もしない」事になるのだろうか。

もう少し掘り進めていると何もしていないわけではない。本を読んだり、Youtubeを見たり、バラエティーではない勉強をしている。毎日インプットをしている。

このブログもアウトプットの位置づけでやり始めた。その他、食べていく為の運用もしている。基本5年以上の長期運用なので、多くの資産に手を入れる必要はない。日課としては、その日の経済・金融の動きを一通り追って、デイトレード分の資金を少し運用しながら相場にいるようにしている。

何もしていないと思える日常だがこうなる。朝起きて朝食後に相場をチェックする。時間がランチ前にあれば、少しバイト(PCで雑務)をする。昼食後、読書と執筆をする。夕方散歩にでる。夕食をみんなで食べる。一緒にテレビを見て、風呂。一日の経済を追ってスマホゲームをして寝る。

聞いてるだけでつまらない1日。ツッコミどころも無い。記事にする必要もない。まさに何もしない生活なのかもしれない。

そして、こういう話をすると多くの人から「定年退職後の老人のようですねw」「つまらなくてすぐ事業やっちゃうんじゃないですかw」などと言われる。それの気持ちは分かる。何故なら自分の年代でこういった生活をする決断するのは、かなり勇気がいるからだ。

それに何もしないと思われる生活を送った経験者も同世代にいない。よって、何もしない生活をした人間がそもそもいないので、議論にもならない。

何もしないと言うと引きこもりや老人をみな思い浮かべるようだ。確かにそうかもしれない。

「仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6か月以上続けて自宅にひきこもっている状態」を「ひきこもり」と呼んでいます。「ひきこもり」は、単一の疾患や障害の概念ではなく、様々な要因が背景になって生じます。ひきこもりのいる世帯数は、約32万世帯とされています。

だそうだ。はっきりした。私は引きこもりのようだ!仕事や学校にも行っていないし、家族以外の人と交流をほとんどしない。

普通の人・・・普通の人から見ると何もしないことは、よくないことであり、引きこもりなど特殊な事例として扱われるようだ。つまり、私が異常であり、何かをしている人が正常ということになりそうだ。

ただ、凄く不思議だ。家族が幸せに暮らしているのに、何故人々はネガティブな反応を示すのか。何もしていない家族を見ても、本人が幸せで法の下に暮らしていれば良いのではないだろうか。

何かしなければいけないと言うバイアスに多くの人がかかっている気もする。例外なく私もなびいたりする。一番なびいたのが「社会貢献」だ。何もしない人間は、社会貢献をしていない。もしくは、社会貢献が足りないという解釈だ。例えば、極端な例として有能な著名経営者が何もしない生活をしていたら、世間は「もったいない」「社会の為に」「日本のために」「世界の為に」活動し、働けと言うだろう。

才能や能力があるのであれば、それを人さまの為に使うべきだと。シンプルで分かりやすいストーリーでもある。一番良いのは、家族が幸せで、本人も幸せで、世界も幸せに出来れば最高だろう。みんながハッピーなシナリオだ。

私がこう考えるのも若干、罪悪感があるからかもしれない。自分や家族だけが幸せに暮らしていることに。何もしない生活って1度はいいよ。と勧めたところでそのカードを切れる人は少ない。さらにそのカードすら持っていない人が多い。

FIREと言う概念が提唱されてブームが起こったが、これこそまさに何もしない生活に近いものだったりする。FIRE党の人間は、FIREする人間に対して共感・理解がある。何もせず穏やかに家族と過ごす生き方だ。

こういった例もある。安室奈美恵が引退した時に「もっとやるべきだ」と言うファンは少ないはずだ。絶対に。彼女を見れば、今まで頑張ってきて穏やかな暮らしをする彼女を否定するはずがない。これまでの功績が大きいのもあるかもしれないが、大小かかわらず「ありがとう」と人間として言えるならどんなに素晴らしい世界だろうか。

何もしない。何もしないとは、他人が決める客観的なものでないべきであり、導入段階で自ら何もしていないと実感しつつ、何かを感じる感情の1つである。と言えそうだ。

 

何もしない贅沢

家族

何もしない状態をキープするには、ある程度の資産かお金が必要になる。仮に生活費を30万円だとすると360万円の貯金があれば、1年間なにもしない時間を作る事ができる。

720万円あれば2年間何もしない時間を作り出せる。10年で7,200万円。20年で1億4,400万円だ。

もしくは、子供が出来れば育休や有休を組み合わせて1年前後取るのが一番簡単なタイミングでもある。

つまるところ、何もしないことが贅沢なのは、自分自身や家族の為に多くの時間をさける事にある。自分や家族と向き合うこと自体が贅沢なのだ。

何かしている人は、何かで忙しい。心の余裕もなかったり、何かしているストレスの反動でさらに忙しくしている事も多々ある。私が実際そうだった。ビジネスのストレスで休みには、アクティブな用事を詰めてストレス発散していると思っていた。

新しい会社を作ったり、新しい事業を創ったりするのは、実は仕事のストレスが原因で新しい事をやりたくなってしまう病に侵されていたと言っても過言では無かった(経営上の考えではあるのだが)。

それを才能や特性だとみる事も出来るが、そうじゃない。何もしない生活から完全にこれまでのストレスが抜けきるまで6か月かかった。もしかしたら、躁鬱やうつ病、ADHD的な特性もあったのかもしれない。

つまりこうだ。ビジネスを全て閉じてからは、その惰性で物凄く色々な欲求があった。この事業をしたい、パラグライダーがしたい。海外に行きたい。車を運転したい。もっと稼ぎたい。いろいろな欲望があった。

実際に自由になったと勘違いし、欲望を満たそうとしていた。ただ、不思議なことに6か月を過ぎる頃、その欲求と向き合うようになり治まってきた。これが不思議だったし、想像もしなかった。

これにより何もしない贅沢を私は手に入れた。何もしない贅沢とは、言葉通りではなく、何もしない事ででも幸せや充足感を引き出せる贅沢と言うことだ。

実際、時間は使うもののお金を使う事はない。何もしない贅沢は、精神的な豊かさであると言える。

「自分はある程度もってるから言えるんでしょ?」そう言われるかもしれない。だがあえて言いたい。1年間何もしないことで、その後の人生が大きく変わる。これは断言できる。

夫婦、子育て、仕事。1年間何もしないだけで劇的に思考や精神が変わるはずだ。向き合い方が全然違う。現に多くの人が体験できないまま死んでいる。老後に年金をもらい体現しても遅いのだ。その時に後悔が生まれるだけだろう。

何もしない贅沢は、自分にとって大事なものを明確にしてくれる。それは、大事な人だったり大事な考え方。それに必要なお金も分かるようになる。「あ、このぐらいあれば十分幸せに暮らしていける」と。

そうすると家族も仕事もより自然体で接することが出来る。必要なものと不要なものが明確であり、自分が無理しているラインとそうでないラインも容易に把握できる。幸せに暮らしていくには、このラインで十分。それ以上は、たまにでいい。こうなると主体的に人生を回せるようになる。

再度言いたい。何もしない贅沢は、何もしないだけでは得られず、何もしない事を通して進んだ先にあるという事。そして、出来れば30~40歳前後でこの期間を設ける事をお勧めしたい。

 

何もしない難しさとは?

何もしない

コロナ禍でのステイホームで、宇宙飛行士が日々の過ごし方を解説していたが、万人に共通するものはほとんどない。歩んできた人生、遺伝子的な思考、住んでる環境、使える予算。変数がありすぎる。

仮になにもしないことをやると決めても、数週間や数か月でギブアップし、「やっぱりこれまで通りが一番」と思考停止で終了するのは勿体ない。ここが何もしない難しさだ。

抜けきって実感。つまり、新しい発見をするには、人によって時間が異なるであろう事と行きつく境地は、ほぼ万人で同じであるはずなのだ。

それは、何もしない状態でも幸せを引き出せること。充足感を得られること。自分にとって、最低限幸せを引き出すのに必要なお金を知る事の3つがある。これを発見できずに何もしない状態から抜け出すのは、何もしないカードをきったのにそれが無駄になる。

逆に言ってしまえば、しっかりと自分の人生を生きれるかにかかっている。冒頭で書いた社会貢献。他人が決める話ではない為、自分自身にとって自分は、いつでも幸せに生きれるから人を幸せにしたい。と思えて初めてやるべきだと個人的には思う。変な義務感かべき論で安易に人生を消費する必要は全くない。

日本は、意外に冷たい国だ。世界的に見てもボランティアや寄付が少ないそうだ。自己肯定感が低く、幸福度も低く、会社への忠誠心も低いからこそのことだろう。遺伝子的な傾向とは言え、何もしない贅沢を身につけるにはよい人種だと言える。

 

何もしない贅沢を得た次のステップとまとめ

ここからだ。ここからが重要だ。何もしない贅沢を手に入れ、本当の自分や家族を手に入れ、精神とお金も手に入れた。さて次は?で、どうなる?人が気にするのはここだろう。で、どうなったか?ただ身内だけで消化して死んでいく人生で良いのか?そんなところだろう。何もしない贅沢を得てから発症する病がこれだ。「次どうする病」

不思議なもので前いた自分の場所まで、何もしない贅沢は戻そうとするのだ。まさに引っ張ってくる。「何かしたほうがいいんじゃない?」「そのまま死んでいくの?」「生きてる価値あるの?」これを感じながら生活するのが次のステップ。

これも人によるだろうが、ライフワーク。自分で言えば、新しく始めたアウトプット目的のブログ。業務委託で依頼される新規事業や経営コンサル。自分でコントロールできる範疇に留めておいて、数か月に1つ変更・追加・削除などのアクションを行っている。今までだったら、来るのも拒まず、面白いと思ったら飛びついていたが、十二分に考えるようになった。それをやっても自分の幸せは引き出せるか。家族の幸せはどうだろうか。それで誰かを幸せに出来るのか。じっくり考えるようになった。

そう考えると就職と言うものは、やはり人生をその会社に預けていると理解できる。ルールや社風があり、全て自分とは合わない。就職と言う1つだけのボタンがあって、それを押すだけで全て決まってしまう。徐々にだったり、細かい事を変更したりする事がしにくい。その点、副業OKだといくつかの組織に入って、自分にとっていいところを組み合わせて抽出し、ベストなラインに揃える方法が唯一のよい就職かもしれない。自営やビジネスオーナーならそもそも自由だろう。

何もしない贅沢を手に入れ、次どうする病にかかり、その発症を抑えながら選択と更新を繰り返し、適宜人生を最適化していく。コロナや金融ショック、震災、戦争。想定外の事は必ず起きる。余裕・余白・スペースのある心で準備と選択をする。これが自分の人生を手に入れる一番早い方法だと感じている。

 

 

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