もしも一年後、この世にいないとしたら。を読んで

 

私がセミリタイアする前も、こういった死生観の本を読んでいました。やはり、人間希望の生き物で、絶望の中、生き続けられる生物ではないと感じます。本書は、著者ががん患者のメンタルを診る中でのお話しが書かれています。ごく一部のケース紹介ですが、がんに罹患して亡くなられてしまう人と日常に戻る人が描かれています。

経営者をやっていた時に仕事や人生について、社員と私では時間軸が違う事に気付きました。これは、悪いとか良いとか、能力の有無の話をしているわけではなく、職種的で個人的な考え方の違いの話です。ほとんどの人が今日、明日、今週ぐらいの事を考えるのに対し、来年、再来年、5年、10年と考えるのが職種柄の思考方法でした。

ある時、自分がいつかは死ぬんだと思った時、非常に怖くなったのを覚えています。考えれば考えるほど、避けられないということや得体のしれないものと接するようで恐怖感がありました。

結局のところ、その時から自分がいつ死んでも後悔がなるべく残らないようにしよう。やりたいと思う事はやろう。本心に従おうと強く思ったのもこの時です。この書籍にも出てきますが、もっと自分の為に生きて良いのではないか。そう死ぬ前に気付き、余生を少しばかり生きるのでも遅くはないと思います。しかし、あり得る日常こそあり得ない日常であり、いかに普通の1日が大事である事に死ぬ前に気付くのか。それとも、ずっと前に気付くのかで人生を使い倒せるかどうかが全然違うのかなと感じました。他人の人生を生き続けることほど悲しいものはありません。

 

私がアーリーリタイア・FIREしたのも、この「死」を考えたから。と言うのも大きなウェートを占めます。子供達と色々な時を過ごすのは、中学生までか高校生まで。と考えた時、このまま仕事で多忙な日々を送り、神経をすり減らしてまでやる事だろうかと疑念がうかびました。妻も働いており、家に家族が揃っても誰かイライラしていたり、ストレスを貯めた状態でとても幸せであるとは言えませんでした。夫婦のサポートを満足に受けられず、子供が毎日、何かしらで泣いていた日々を思い出すと胸が苦しくなります。

お金が無くなったらまた働けばいい。何の仕事でもやる覚悟は出来ている。極端ではありましたが、腹をくくりました。おそらく、あのまま働いていたら一生後悔していたと感じます。

いつ死んでも良いように、自分の本心に従って様々な準備をしながら暮らしていく。癌で死ぬか事故で死ぬか分かりません。どう死ぬか分かりませんが、毎日を後悔せずに生きる。いつか終わる旅路を最大限楽しむために。日々を淡々と暮らしていくだけでも、素晴らしい人生になるのではないかと強く感じました。

この世に生を受けて、生きていること自体が当たりくじ。書籍にもあったように、そう考えるマインドを持ち続けたいと感じます。

子供達にも親や回りを気にせず、自分らしく、ありのままに生きて欲しいなと願うばかりです。

 

 

 

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